2019年11月、大宮の氷川神社と、見沼代用水を散歩しました。その時の写真から。

散歩に出かける前に、腹ごしらえを。
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千住大橋北詰にある交差点です。良い天気です。
この複雑な指定方向外進行禁止の標識がある交差点は、足立市場前交差点です。

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朝ごはんは、足立市場内でいただきます。

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足立市場は、2か月に一度の公開日であるあだち市場の日以外も、一般の人も入場できます。ただ、一人では食べられないくらいの量を買わないといけないかもしれません。
そこで、市場入り口近くにある食堂で適量をいただきます。

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とくだ屋さんの特盛ごうか海鮮丼ですね、確か。

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JRで大宮駅に移動します。
東口です。新幹線のある西口のほうがにぎわっているようですが、もともとはこちらがメインですよね。なんといっても大いなる宮居氷川神社は駅の東側にあります。大宮駅ができたのは明治18年(1885年)ですが、西口は昭和2年(1927年)です。鉄道工場のための出入り口ですね。
最初は日本鉄道の駅として開業しています。渋沢栄一さんありがとう。ただ、当初は大宮には駅を造らない計画だったとか。地元有志の方々が駅用地を提供するなど尽力した結果、駅ができました。
大宮発展のきっかけはやはり、東北本線の分岐駅となったことですね。当初は熊谷から桐生・足利を通って宇都宮へ伸びる案が有力でした。そうすればわが桐生も今頃は…。ただ、地図を見ると、大宮分岐が正解でしょう。井上勝の決断です。

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氷川神社の参道を進みます。11月末なので、木々が色づいています。

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大きな鳥居が見えてきました。二の鳥居ですね。
明治神宮の大鳥居を移築したものだそうです。落雷で破損解体されていたものをこちらに。現存する木造鳥居では関東最大だとか。大きいはずだ。

ちなみに一の鳥居は、参道をまっすぐ南にずっと行ったところ。JRの線路際で旧中山道と参道が分かれるところにあります。参道の長さは2kmで日本一だとか。そこまでは歩けませんでした。

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さすが2kmの参道、二の鳥居からでもかなりな長さです。
奥にようやく三の鳥居が見えてきたようです。

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氷川神社楼門ですね。
訪れたのは2019年、令和元年なので、奉祝天皇陛下御即位です。

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楼門を入ると、正面は舞殿ですね。拝殿・本殿はその後ろです。ちょっと不思議な配置です。参道や楼門の真ん中は神様が通るところだから、歩かないこと!と教わった記憶があるのですが、氷川神社の神様はひとさし舞ってからお通りになるのか?
ちょっと調べたところ、京都の八坂神社がやはり拝殿の前に舞殿がありますね。


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拝殿の前まで来ました。
武蔵一宮氷川神社です。
御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)です。氷川神社ですから。
創立は第五代孝昭天皇の御代3年。これはいつのことだ?日本武尊よりも前ですね。
我が足立区にも氷川神社はたくさんあります。この辺りは氷川信仰が盛んで、多くの氷川神社がありますが、この大宮氷川神社はその中心です。氷川は簸川に通じ、そこは須佐之男命八岐大蛇を退治した場所で、出雲のお話です。武蔵国にたくさんある氷川神社は、荒川を簸川(氷川)に見立てている、などともいわれますね。また、大宮氷川神社の近くには昔、見沼という大きな沼がありました。氷川神社はこの沼の水神を祀ったという説もあります。

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氷川神社の御朱印、頂きました

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紅葉の下、氷川神社の東に広がる大宮公園を抜けて北に向かいます。

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大宮公園の中央です。こちらは銀杏ですかね。

東武野田線(アーバンパークラインですか?)、JR宇都宮線を越え、産業道路沿いに北へ歩いてきました。途中で進路を東にとると、小さな川に出ます。
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これは、見沼代用水西縁です。
見沼とは、氷川神社近くにあった大きな沼です。代用水は代わりの用水ですね。
徳川家康江戸入府のころ、現在の埼玉から東京の下町にかけての東京低地は、何本もの大河が好き勝手に流れていました。勾配の無い平地を流れる川は、大雨のたびに流路を変え、その自然堤防の後背地は排水の悪い湿地が広がっており、稲作に向いていません。そこで家康は、伊奈さんに何とかしろ!と。伊奈忠次は江戸初期の関東代官頭でしたが、伊奈氏三代かけて利根川東遷・荒川西遷事業を成し遂げました。これは、東京低地に流れ込んでいた利根川を鬼怒川水系につなげて銚子に流し、荒川を入間川につなげて平地の西に寄せ、中央の河川を綾瀬川中川太日川(江戸川)などに集約するものです。その結果、湿地帯が大地に生まれ変わりましたが、今度は稲作に必要な水が足らない。そこで、見沼を拡張して巨大なため池とし、下流域の灌漑用水にしました。
時代が下って徳川吉宗のころ、もっとコメを!ということで、見沼干拓が行われ、ため池から見沼田んぼに。
すると、今まで見沼からの用水で稲作を行っていた下流域は水がなくなってしまうので、はるか行田利根川から用水路を作りました。これが見沼代用水ですね。取水口は、利根大堰です。そこから見沼までは、樋󠄀伏越などで多くの川を横切っています。
見沼代用水は蓮田のあたりで東縁西縁の二手にわかれ、西縁氷川神社の東を通り、川口で荒川に流れます。途中、芝川に沿うようにながれ、見沼代用水は灌漑芝川は排水路となります。
そして、東縁鳩ケ谷から先でもともとの見沼用水に接続され、現在の足立区を通って最終的に綾瀬川に流されます。我が日暮里・舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅は、この東縁の末端を親水公園としたものです。

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見沼代用水です。
ちなみに、右奥のドームは、さとえ学園小学校ですね。

見沼代用水から離れて校庭の東側に出ます。
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JR東日本、大宮総合車両センター東大宮センターです。
ちらりとしか見えません。JR東日本253系電車1000番台ですね。元は成田エクスプレスです。お世話になりました。現在2本がここ東大宮センター所属となり、東武線直通特急「日光」「きぬがわ」として頑張っています。これらはFIFAワールドカップの際に増備された5次車200番台からの改造です。

車両センター北側のこ線橋を渡ります。

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ちょっと遠い。

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隣にいるのは、JR東日本E261系電車です。サフィールですね。
営業開始は2020年3月なので、この時点ではまだデビュー前です。遠いけど、かっこ良いっす。

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JR東日本E257系電車もいました。0番台、中央線特急あずさ・かいじとして活躍していました。あずさでお世話になっていました。2019年3月中央線から引退。このころは踊り子用改造が進められていたころですね。これはまだ改造待ちかな?最初の数本は旧塗装のまま長野から送り込まれていたから、わかりません。

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渡ってきたこ線橋は、その横を見沼代用水が流れています。
そして、車両センターの東側を芝川が流れていて、ここで交差しています。
写真奥に向かって流れているのが、芝川。そして写真左から右に流れているのが見沼代用水です。
ここでは芝川が見沼代用水を伏越(ふせこし)しています。逆サイフォンで一度地下に潜ってから、下流側で地表に噴出しています。

芝川の東にある学校を迂回し、南に歩いてきました。
こちらにも車両センターを渡る道路橋があります。砂大橋というそうです。片側一車線です。
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写真が見にくいですが、車両がたくさん並んでいます。
一番左は、JR東日本651系電車1000番台ですね。元はスーパーひたちです。交直両用車でしたが、常磐線E657系に譲ってからは交流機器を取り外して直流区間専用となり、1000番台を名乗っています。屋根の上、パンタグラフ回りがすごくすっきりしていて、寂しいです。現在は、真っ白だった車体にオレンジ色のラインを入れて、スワローあかぎあかぎ草津として頑張ってますね。
その右は、JR東日本251系電車ですね。スーパービュー踊り子号です。この写真を撮った後、2020年3月に、E261系サフィールと入れ替わりで引退してしまいました。海の近くを走るせいか、塗装に錆が浮いているイメージがあります。
その隣は、JR東日本185系電車です。踊り子や北関東の新特急、湘南ライナーで活躍しました。新幹線リレー号なんてのもありました。40年走り続けましたが、定期運用は2021年3月で終了です。あと1年くらいは臨時列車として頑張って、引退です。

この後は東大宮駅まで歩いて、宇都宮線で帰宅です。

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