2020年2月、まだ世の中がコロナで大変なことになる前に、見沼代用水を散歩しました。

まずは、日暮里・舎人ライナー見沼代親水公園駅を目指します。

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荒川を渡ります。
気分は999。メーテル!です。

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見沼代親水公園駅に到着です。

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終点なので軌道もここで途切れています。
日暮里・舎人ライナーは基本的に尾久橋通りこと都道104号線の上を走っています。
通りはこの先も続きますが、この先の小さな橋から向こうは、第二産業道路こと県道58号線になります。スペースはあるので、埼玉県としては、西に向かって新郷鳩ケ谷方面に伸ばしてほしいようですが、都営交通なんで。舎人ライナー利用者としても、これ以上混むと困るので、だめです。

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正確には都県境はこの毛長川から50mくらい北になります。多分流路が変わったのでしょう。
このあたりの都県境は毛長川新芝川と微妙にずれていて、歴史を感じます。

毛長川沿いを少し上流に歩きます。
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境川部屋です。
舎人ライナーに乗っていると、時々お相撲さんに会います。こちらのお弟子さんですね。たいてい髷がまだ大銀杏まで育っていません。

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舎人橋です。見沼代用水毛長川の交差点です。
橋の下を写真左奥から右に流れているのが、毛長川です。
見沼代用水は、橋にかかる道路と並んで、写真右奥から流れてきて、コンクリート手前から毛長川を伏越します。

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別の角度から。先ほどの写真は、写っている橋の右側から写しています。
見沼代用水の水は、ここでその多くを毛長川に放流しています。写真左奥への流れがそうですね。
写真中央のかごのような部分から流れ込んだ水だけが伏越して毛長川の対岸に流れています。

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毛長川の対岸に来ました。
伏越した水がここで地表に出ているようです。でもポンプも見えますね。
単純な伏越だけではないようです。

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敷地横にあった説明版です。水の浄化を行っているようです。

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この先は、見沼代親水公園になっています。
奥に見えるのは、日暮里・舎人ライナーの終点。軌道が途中で切れているのがよくわかります。
このあたりの親水公園は、水の流れが全くなく、水に親しむ気にはなれない。

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駅のすぐ下の部分まで来ました。
右は、流れが全く見られなかった親水公園の水です。
左の金網の下からは大きな水音が聞こえています。
先ほどの浄水設備からここまで、水路が2層になっているようです。どうも浄水設備は毛長川から取水し、ここから親水公園の中・下流部に流すようですね。見沼代用水の水はここで入れ替わっているように見えます。

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見沼代親水公園駅東側です。
確か、近くの案内板に書いてあったと思うのですが、舎人橋から全長1700mあり、上流・中流・下流で目的の分かれた公園となっているようです。上流は水路エリアで、コイや亀などの生き物がいますが、水遊びはできません。
駅から先の中流域にはきれいな水が流れており、じゃぶじゃぶ池など子供たちの水遊びができるようになっています。なるほど親水公園ですね。

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下流は、水辺の散歩道ですね。水遊びはできません。鴨やコイ、亀の楽園です。

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見沼代親水公園は、古千谷橋交差点の手前で終わっています。水の流れはここまでのようです。現在の見沼代用水東縁の終点はもう一つ先のはんのき橋交差点のようですね。農業用水時代はどこまで続いていたのでしょう。地図をみると、見沼代用水の先はそのまま赤山街道になり、竹ノ塚駅の横を抜けて綾瀬川方面に進んでいます。

この先を進んでも見沼代用水の痕跡は見つかりそうも無いので、進路を北東に変えて歩きます。
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ほどなく川に出ました。毛長川です。
この付近からは東に流れを変えています。しばらくはこの毛長川に沿って進みます。

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大きな水門が見えてきました。少し下流にも小さな水門があります。水門の機械室には珍しく屋根が切妻です。二つの水門の間に見える巨大な施設の屋根も切妻ですね。この施設は、辰井川排水機場です。
辰井川は毛長川の支流で、通常は大きな水門で毛長川に合流しています。毛長川水位が上昇した場合、この水門を閉め、毎秒最大10㎥で強制的に排水することで、辰井川の氾濫を防ぎます。

写真奥には東武スカイツリーラインが見えます。ちょうど東武634型電車が走っています。スカイツリートレインですね。もとは東武6050系電車を改造したものです。

東武スカイツリーライン足立清掃工場を過ぎ、さらに毛長川に沿って進みます。
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通り過ぎた建物をよく見ると、ひよ子。左岸に東京ひよ子の工場がありました。おいしそうな匂いが。

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川沿いの道をさらに進みます。
右岸側に花畑団地が見えてきました。

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おや?
ピンポイントな警告板。完全に畑になっています。

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毛長川の終点までやってきました。ここで伝右川綾瀬川に合流します。毛長川は写真右奥。

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わかりにくいので、対岸からとった写真を。
正面に見える水門は伝右川。前の写真は水門の向こう側から撮ったものですね。コンクリート柱が見切れています。毛長川は水門の手前、この写真の左側から流れてきています。
綾瀬川は、正面の茂みの手前を左側から流れています。よく見ると家の前で別の川が流れ込んでいるのが見えます。農業排水路のようです。
ここでは、4つの流れが合流しています。

少し西に戻ります。
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提灯がたくさん見えてきました。

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大鷲神社です。

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こちら、花畑大鷲神社の御祭神は、日本武尊です。日本武尊はその東征の帰路にこの地に本陣を置いたそうな。昔過ぎてよくわかりません。
後三年の役で、新羅三郎義光が先勝祈願を行ったそうです。義光は八幡太郎義家の弟ですね。足利尊氏は義家の子孫、武田信玄は義光の子孫です。

11月の酉の日日本武尊の命日とされているそうで、神恩感謝のお祭りが開かれるようになり、それが酉の市になったそうです。こちらの神社は、酉の市発祥の地です。酉の市というと、浅草の鷲神社が有名ですが、なんでも花畑は遠すぎる!ということで浅草でも行われるようになったとか。花畑大鷲神社上酉鷲神社下酉というそうです。江戸時代には千住の勝専寺中酉だったそうですが、こちらは明治に無くなってます。ちなみに勝専寺といえば、千手観音立像が有名です。千住の起源の一つと言われています。中酉は知りませんでした。

狛犬にもあいさつ。
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大鷲神社の御朱印、頂きました。

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ひよ子の先まで戻ってきました。ここからバスで帰ります。
2時間に1本ですね。足立清掃工場始発です。

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