2020年11月、緊急事態宣言の合間に日光へGOTOしました。
日光、中禅寺湖へGOTO
その2日目です。

DSC_1131
宿の部屋からの眺めです。中禅寺湖が見えます。今日も良い天気。

車は東照宮近くの市営駐車場に止めることができました。

DSC_1132
駐車場から直接東照宮を目指すこともできますが、いったん国道沿いに下ります。

DSC_1133 (2)
このあたりは紅葉がまだ見られますね。この建物は、日光金谷ホテルですね。

DSC_1138
国道が大谷川を渡るところから上流を。赤い橋は神橋です。

DSC_1140
2DAYパスポートは、神橋にも入れます。
世界遺産の一部であり、国指定重要文化財です。
日光の社寺の入り口です。2DAYパスポートのリストにも一番最初に載っています。

DSC_1141
神橋から大谷川上流を見た長めです。右の道路が先ほど歩いてきた国道120号・122号です。

DSC_1143
神橋を渡った先にある細い道が旧日光街道参道ですね。

DSC_1144
二荒山神社の一部ということで、神橋の御朱印、頂きました。
隣の御朱印は2月にいただいた大鷲神社のものですね。コロナで全く出歩けなかったことがわかります。

DSC_1145
先ほど神橋から見えた旧日光街道を登ります。

DSC_1146
細い参道を抜けると輪王寺の南に出ました。
奥に進むと輪王寺の駐車場です。
徒歩なので、左に進みます。

DSC_1147
広い道に出ました。表参道です。二社一寺への参道ですね。
二社一寺は、日光東照宮日光二荒山神社本宮、そして日光山輪王寺です。世界遺産の中核ですね。

表参道を登っていきます。

DSC_1149
右側に見えるのが輪王寺です。

DSC_1150
東照宮につきました。葵の御紋が光り輝いています。
お祀りしているのは東照大権現徳川家康公です。権現とは仏がこの世に仮の姿で現れることですね。権には仮という意味があります。また、本地垂迹思想における仏に化身した神のことも言います。要は、徳川家康はえらい神様ということですね。

徳川家康は元和2年(1616年)にその生涯を閉じていますが、その遺言により日光に移されたのは元和3年(1617年)です。これが東照宮の由緒になりますが、その当時は東照社です。正保2年(1645年)に朝廷より宮号宣下が行われ、東照宮になりました。
家康の遺言では、日光に小さな社を、というものでしたが、孫の家光により現在の絢爛豪華な社殿に作り替えられています。寛永13年(1636年)です。

境内を見ていきます。
まず、前の写真の石鳥居重要文化財です。元和4年(1618年)黒田長政により奉納されています。官兵衛の息子ですね。九州の石です。船で運べるのは小山まで。そこからは人力で陸送です。


DSC_1153
五重塔です。重要文化財
慶安3年(1650年)建立ですが、火災にあい、文政元年(1818年)に再建されています。

DSC_1155 (2)
表門です。
仁王様がいらっしゃるので、仁王門ですね。こちらも重要文化財です。

DSC_1156 (2)
表門を入った正面に並んでいる三つの建物は、三神庫というそうです。左から上神庫、中神庫、下神庫です。春秋渡御祭で使われる装束などが保管されているそうです。これらも重要文化財です。

DSC_1159
上神庫の屋根下には大きな像の彫刻があります。狩野探幽の下絵による想像の象です。

DSC_1157
上神庫の向かいにあるのは、神厩舎です。
ご神馬をつなぐ厩ですね。
当然重要文化財です。

DSC_1158
見ざる言わざる聞かざる三猿がいるので。
猿は馬を守るといわれているそうです。馬は嫌がりそうですが。

DSC_1161
左に見えるのは御水舎、そして輪蔵。石段を上がった左は鼓楼ですね。
御水舎は重要文化財です。水盤は佐賀の鍋島氏により元和4年(1618年)に奉納されたものです。

DSC_1165
石段を上がると、陽明門です。国宝です。きらっきらです。
唐破風下の扁額は後水尾天皇ご宸筆の東照大権現です。
陽明門の名前は平安京の内裏の門の名前をいただいたものですね。
一日見ていても飽きないことから日暮御門とも呼ばれています。

DSC_1166
平成の大修理は2017年に6年の予定を4年に繰り上げて終了したばかりで、なのできらっきらです。
ただ、工期短縮の影響か白塗りの部分にカビや剥がれが発生しているようですね。さらに雨漏りも見つかったようで、現在手直し工事中だそうです。でもきらっきらです。

DSC_1179
門をくぐって背面から。きらっきらです。

DSC_1182
複雑な組物の部分を拡大。組物は寺院で多く見られますね。左右に腕を伸ばしたような形の横木(肘木)で上からの荷重を支え、それをで支えます。陽明門では組物が複数重なっています。深い軒を作るのにつかわれたりしますが、陽明門では装飾的な意味合いが強そうです。
下段の組物の一番上、四手先目唐獅子ですね。上段の組物には顔がもっとたくさんあります。
これらは漆と金箔で彩られていますね。

DSC_1181
陽明門を入って左側には神輿舎があります。重要文化財です。
春秋渡御祭の際の三基の神輿が収められています。

DSC_1178
唐門です。国宝です。
白いのは胡粉が塗られているからです。炭酸カルシウムです。貝殻ですかね。中国の胡から伝えられた顔料なので、胡粉です。よく見るとたくさんの彫刻が施されています。舜帝朝見の儀ですね。舜は中国の神話時代の名君ですね。唐門ですから。

DSC_1177
唐門の後ろには御本社があります。国宝です。
本殿拝殿そしてその間の石の間があり、東照宮の心臓部です。

この後は奥宮へ向かいます。
途中東回廊の潜り門にいるのがこれ。

DSC_1170 (2)
眠り猫です。こちらも国宝。
左甚五郎作とされています。後ろ側では雀が遊んでいます。猫が寝ているので。

DSC_1174
奥宮です。重要文化財です。
鋳抜門御宝塔です。
鋳抜門は、扉以外一つの鋳型から作られています。すごい。

DSC_1175 (2)
そしてこちらが御宝塔家康の墓所です。

DSC_1184
奥宮から降りてきました。陽明門を出たところです。日光東照宮の鼓楼です。こちらもキラキラです。
その右奥は、日光山輪王寺東照宮本地堂です。

DSC_1185
本地垂迹思想によると、東照大権現薬師如来本地仏としています。
この本地堂は薬師堂です。昭和43年の再建です。天井の鳴竜が有名です。写真撮影、録音はNGです。
明治の神仏分離により、東照宮と輪王寺は分離されていますが、この本地堂と鼓楼はその所属がはっきり決まっていないそうな。

DSC_1186
日光山輪王寺本地堂の御朱印、いただきました。これを見る限りやはり輪王寺さんですよね。

DSC_1187
東照宮のすぐ南から西に延びる玉砂利の道は、二荒山神社本社の参道、上新道です。
下野国一之宮なのですね。

DSC_1189
楼門です。
創建は昭和53年(1978年)で比較的新しい門です。
勝道上人男体山登頂1200年記念で建てられました。

DSC_1191
門をくぐると二ノ鳥居です。寛政11年(1799年)再建だそうです。

DSC_1192
二荒山神社本社拝殿です。本殿はこの後ろですね。ともに重要文化財です。
ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと)、三柱合わせて二荒山大神です。父母子供だそうです。
創建は、勝道上人神護景雲元年(767年)に二荒山の神をまつる祠を立てたのが始まりです。その場所は神橋の近くでしたが、東照宮造営のため、現在の地に移転しています。

境内には男体山などの日光連山8峰に華厳の滝、いろは坂などを含んでおり、伊勢神宮に次ぐ広さです。

DSC_1194
二荒山神社の御朱印、頂きました。

二荒山神社の南側、東照宮の南西に向かって歩きます。
DSC_1198
日光山輪王寺大猷院です。国宝です。大猷院は徳川家光の法号ですね。こちらは家光の廟所です。

DSC_1200
石段を登ったところにあるのは、仁王門です。重要文化財です。

DSC_1201
金剛力士像が守っています。吽形さんですね。阿形さんはうまく撮れませんでした。HPにあるようにはなかなか撮れません。

DSC_1203 (2)
御水舎です。

DSC_1204
ふと左を見ると、石段の上にさらにきらびやかな門が。
二天門です。こちらも重要文化財です。日光で一番大きな門だそうです。


DSC_1205
二天門に掲げられている扁額です。
後水尾上皇による筆です。
陽明門の扁額も後水尾天皇・上皇によるものでした。後水尾天皇といえば秀忠や家光と対立した天皇ですが、扁額を書いているのですね。明治維新で東照宮の焼き討ちを主張する薩摩藩を、「天皇の宸筆である扁額があるよ」と説得したそうです。書いてもらってて良かった。

DSC_1206
二天門には、持国天増長天を安置しているので、二天です。いわゆる四天王のお二人です。
こちらは持国天ドゥリタラーシュトラだそうです。四天王としては須弥山の東の護りを担当しているからでしょうか、こちらでも東側に立っていらっしゃいます。

DSC_1207
こちらは増長天ヴィルーダカです。
こちらは南面を護っている方ですね。じゃ、持国天が東にいるのは単なる偶然かな。

DSC_1208
二天門の裏側には風神雷神がいらっしゃいます。なぜ四天王でないのだろう。

DSC_1210 (2)
風神です。
風神は日本だけではなく、中国、インド、メソポタミア、エジプトなど世界中にいらっしゃいます。どこでも強風はだれか人知を超えた存在が起こしていると考えるのでしょう。

DSC_1209 (2)
雷神です。
雷様ですね。高木ブーさんです。

DSC_1211 (2)
二天門を抜けてさらに石段を登ったところは、展望所と呼ばれています。
下をのぞくと石灯籠がたくさん並んでいるのが見えます。これらはみな当時の大名からの献上品だそうです。天上界から下界を見下ろす展望所だそうです。大猷院の構成は、門をひとつずつ潜りながら下界から天上界へと昇っていく様を表しているそうですね。

DSC_1212
さらに石段を登ると、夜叉門が現れます。
四体の夜叉が安置されているため、夜叉門です。四体は、阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)だそうです。そのうち、うまろきゃは珍しい仏様なのでぜひよく見てください、と説明のお坊さんに教わりました。
こちらです。
DSC_1219 (2)
烏摩勒伽です。青い仏さまです。手にする金の弓矢が、破魔矢発祥という説明でした。

夜叉門の前に左右に同じような建物が見切れています。
左が鼓楼、右が鐘楼ですね。

DSC_1213
こちらは鐘楼ですね。なぜか鼓楼の写真がありません。
どちらもほとんど同じ形をしてるから、良しとします。
鐘が見えません。扉の中にあります。
下層は袴腰というそうです。そして上層には高欄に廻縁。屋根を支える組物が美しい。

DSC_1214
次は唐門です。
よく見ると、唐破風の下に丹頂鶴と白龍がいます。破風のすぐ下に二羽の丹頂鶴が、入口のすぐ上、金色の頭貫の上に白龍が。

DSC_1218 (2)
ね?

DSC_1215
拝殿です。
この後ろに相の間そして本殿が連なっています。権現造というやつですね。すべてまとめて国宝です。
崇拝するおじいさん、東照神君の東照宮より華美にしてはいけない、という遺言を残したそうですが、十分ピッカピカです。それでも黒漆をベースに使い、よりシックな趣ともいえます。
内部には狩野探幽による唐獅子や格天井に描かれた龍など見所満載ですが、写真はありません。

DSC_1216
拝殿から右に回り、相の間本殿を見てみました。抜かりないです。

DSC_1217
こちらは竜宮門こと皇嘉門です。明朝様式竜宮造りというそうです。奥の院への入り口で、中には家光公の墓所があります。

DSC_1220
これから下界に戻ります。

DSC_1223
下界です。

DSC_1199
日光輪王寺大猷院の御朱印、頂きました。
家光公没後370年の記念御朱印です。

DSC_1224
最初に通った表参道の東側にある、日光山輪王寺の本堂へ向かいます。

DSC_1225
日光山総本堂 三仏堂です。重要文化財です。
東日本で一番大きな木造建築だそうです。現在のお堂は正保2年(1645年)です。家光公により建て替えられたものです。

日光山は天平神護2年(766年)勝道上人によって開山されました。二荒山神社を開いた方ですね。
明治の神仏分離前は、輪王寺、二荒山神社、東照宮みんなまとめて日光山でした。

江戸時代には天海大僧正が住職になり、東照大権現を迎え、輪王寺の名を天皇から勅許されました。以降明治まで、輪王寺は輪王寺宮法親王が治めることになりました。法親王は皇族出身の僧侶です。輪王寺宮法親王は、上野寛永寺貫主を兼ねていますね。通常は上野に住んでいて日光には年に3か月くらい滞在したようです。上野には御隠殿という輪王寺宮の別邸があります、息抜きをしたそうです。日暮里駅前の陸橋は下御隠殿橋です。


DSC_1229
池の横を通り、三仏堂の裏に回ります。
このあたりが一番紅葉がきれいでしたね。

DSC_1230
奥に見えるのは大護摩堂です。


DSC_1226
日光山輪王寺 三仏堂の御朱印、いただきました。

DSC_1233 (2)
2DAYパスポートで日光を満喫しました。それでも全部は回れませんでした。体力的にもう。
6,7,8,10はまた今度。