2018年3月の写真です。

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地下鉄で九段下まで来ました。牛ケ渕です。ちょうど桜が満開です。


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田安門へ続く土橋です。
この土橋の向こうは千鳥ヶ淵で、手前の牛ヶ淵とは水面の高さに大きな違いがあります。ダムですね。
千鳥ヶ淵の水面が高くなりすぎると、牛ヶ淵に放水される仕組みですね。おかげで首都高速も水没しない。

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千鳥ヶ淵の桜です。たくさんのボートが出ています。

この日は、九段下の法務局に用事があり、出てきました。
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大隈重信の邸宅があったようです。石碑の頭が早稲田ですね。
雉子橋はもう少し竹橋に近いところなのになぜ雉子橋邸なのか?と思ったら、単に邸宅が広大だったのですね。雉子橋から清水門前までが大隈重信邸。今の合同庁舎3つ分くらいでしょうか。

この後は別件で東急多摩川線沿線に向かいます。
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多摩川線と言われてもピンときません。自分の中では緑色の古い電車が走っている、目蒲線のイメージです。
2000年に多摩川駅で系統分離され、「目」側は目黒線として北は東京メトロ南北線都営地下鉄三田線と相互乗り入れをし、南は東横線に乗り入れて日吉まで直通運転を行っています。6両編成の最新の車両でワンマン運転を行っています。
切り離された「蒲」側は、東急多摩川線となり、多摩川駅と蒲田駅の間を結んで走っています。西武線にも多摩川線があるため、東急多摩川線が正式名称になります。西武の多摩川線に対し、東急の東急多摩川線です。

この電車は、東急7700系電車、7706号です。もとは1962年デビューの7000系電車です。私とほぼ同い年です。1990年前後に車体以外を総取り替えして冷房化もされました。それからでもこの写真の時点で30年弱経っています。そろそろ引退?と思っていたら、2019年から養老鉄道で新たな人生をはじめました。あと、30年は頑張るそうです。私は無理です。

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こちらは東急1000系電車、1320号です。
1000系は、1988年に当時の営団地下鉄日比谷線乗り入れ用に開発された電車です。なので18m3扉と、東横線の主力車両とサイズが異なっています。
この1320は1992年製造です。池上線、東急多摩川線用として増備されたグループですね。日比谷線は走っていません。

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こちらは東急新7000系、7307号です。
先ほどの7700系の基となった7000系ではなく、2007年デビューです。
当時の主力2000系をベースに、18m3扉として設計されています。

多摩川駅に戻ってきました。
駅から東急多摩川線の線路沿いに少し歩いたところ、踏切近くの多摩堤通りの交差点です。
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桜の奥に石段が見えます。

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多摩川浅間神社です。


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石段を登ると、ごつごつした岩と白糸の滝という石碑が見えます。
この岩は、氏子さんが奉納した富士山の溶岩から白糸の様に流れ出る水、だそうです。

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拝殿です。
創建は文治年間(1185-90)とされています。自分の子供のころは「いい国作ろう」なのでまだ鎌倉時代ではありませんが、今の教科書では鎌倉時代です。
神社に伝わる由緒によると、豊島郡滝野川に出陣した源頼朝の後を追って来た政子が足を痛め、傷の治療の際に亀甲山に登ると富士山が鮮やかに見えたので、富士吉田にある自分の守り本尊である浅間神社に手を合わせて、夫頼朝の武運を祈り、身に着けていた正観音像をこの丘の上に建て、村人たちは富士浅間大菩薩と呼んで尊崇したそうです。
御祭神は当然、木花咲耶姫命です。

狛犬たち。
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参道左側に見晴らし台があります。
そこからは多摩川を渡る東横線の電車が見えます。
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これは東京都交通局6300形電車ですね。目黒線を経由して都営三田線から乗り入れてきた電車です。

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奥の電車は西武鉄道6000系電車です。顔が白いのでわかります。
手前の電車も西武6000系に見えます。屋根の上のベンチレータの有無で違いがあります。西武は最近ベンチレータの撤去を行っているので、同じ形式でも有り無しが混在しています。

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これは東京メトロ9000系電車ですね。南北線から目黒線を経由して走ってきました。
奥の電車はわかりません。東急でしょうか。

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天気が良いと見晴らし台から富士山が見えます。写真が貼ってありました。
政子もこんな感じの富士山を見たのでしょうか。

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多摩川浅間神社の御朱印、頂きました。

東急東横線で分断されていますが、神社から多摩川に沿って上流に向かって丘陵地が続いています。
今は多摩川台公園となっていますが、この辺りには古墳が沢山連なっています。多摩川台古墳群です。
浅間神社は古墳の上に作られています。

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多摩堤通りで東横線の下をくぐり、古墳の丘を登ります。

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四阿の奥に見える階段を登るとハーブ園です。
その奥はさらに一段高くなっており、水生植物園、そしてその奥が亀甲山古墳です。政子が富士山を見た山ですね。

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亀甲山古墳の解説がありました。
前方後円墳ですね。後円部南端が浄水場工事で削られている!水生植物園か!?

前方部北側に多摩川台公園古墳展示室があります。
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古墳が展示されています。頂上部の埴輪がかわいい。

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浅間神社古墳についての説明もありました。
こちらも前方後円墳だったんですね。
絵と写真の向きが90度ずれているので分かりにくいですが、写真の右上から真ん中下に直線で抜けている線路は、当時の目蒲線です。東横線は、写真中央から左にググっとカーブして、前方部のあった場所を抜けています。

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古墳展示室の前の広場では、桜の下お祭りが。

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桜の間から多摩川が光っています。

広場の南に連なる丘は、皆古墳のようです。
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こちらは第3号墳
第1号墳は、先ほどの大きな前方後円墳の後円部分、第2号墳は、その前方部です。

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第3号墳以降は、直径15mくらいの円墳です。

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大体6世紀前半から7世紀中ごろまで継続的に作られていたようです。

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見えにくいですが、第6号墳です。

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第7号墳まで来ました。

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第8号墳は、道路を渡った先になります。

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この日は桜がきれい。

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そんなことを考えていたら、蓬莱山古墳まで来てしまいました。
第8号墳は7世紀中ごろ、一連の古墳の最後に作られた円墳です。
それに対し蓬莱山古墳は、4世紀ごろの前方後円墳です。
桜を見ていたあたりが第8号墳か。

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せっかくなので、前方部に登ってみます。木が多くてよくわかりませんが、なかなかの大きさです。

先ほどの看板にもありましたが、後円部は開発で半分削り取られてしまっていいます。
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このカーブ!後円部の先端です。道の左は住宅ですが、ここから古墳が盛り上がっていました。


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古墳を後にし、住宅街を歩いてきました。
まっすぐな道が続いています。

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交差点で、横を見ると、こちらの道はぐっと曲がっています。

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まっすぐな道をさらに進むと、横の道のカーブがより鮮明にわかるようになりました。

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ここは田園調布です。
渋沢栄一らが開発した理想都市です。
駅を中心とした同心円状の道路(実際は半円形ですが)とそれを貫くスポークのような直線道路からなる計画都市です。
多摩川古墳群からは歩いてすぐの距離で、田園調布古墳群とも呼ばれます。

ここからは目黒線で帰宅します。
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目黒川の桜も。