2018年のGWに房総館山へドライブしました。その時の写真から。


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GWの房総方面の道路はどこも激混み。途中で引き返して三浦半島経由にします。
大黒ふ頭に来るまでですでに疲労困憊。

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久里浜から金谷まで、東京湾フェリーでワープ。
フェリーは一便待ちで乗れました。
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出航です。

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ヨットが気持ちよさそうです。
昔ボストン空港の近くで載せてもらったことがあります。聞こえるのは波を切る音だけ。
また乗りたいものです。

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崖の中腹にお堂が見えます。
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こちらは、真言宗普門院船形山大福寺、通称崖観音です。
御本尊は十一面観世音菩薩で崖中腹の祠に刻まれています。養老元年(717年)に行基が東国行脚の折に、海上安全と豊漁を祈願して岩肌の自然石に彫ったとされています。

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観音堂まで登ってみます。
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途中は割と広い階段が続いています。
階段の幅をとるため、かなり崖を削ってますね。
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これも懸造ですね。清水寺よりも規模は小さいですが、何しろ土台の位置がすでに崖の中腹ですから。

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モルタル?コンクリート?しっかり補強してあるようです。

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ようやく登りました。崖観音です。

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観音堂は、最初は9世紀ころに建てられたのでしょうか。その後火災や豪雨被害で何度か失われています。関東大震災でも倒壊し、大正14年に再建され、平成28年(2016年)に大改修が行われています。訪れたのは2018年、ぴかぴかです。

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館山の湾を挟んで、洲崎の岬が見えます。

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下はこんな感じ。ちょっと怖い。

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お堂はこんな感じで崖に張り付いています。

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崖観音の御朱印、頂きました。

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館山市内を南に進みます。
さすがにGWは交通量が多いです。

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野島埼灯台です。
ここに灯台を建てたのは、慶応2年(1866年)に米英仏蘭と結んだ江戸条約で約束したから。8か所の灯台建設を約束していますが、野島埼はその一つです。なので、条約灯台です。
実際に完成、点灯したのは、明治2年(1870年)ですね。観音埼灯台に次ぐ、日本で2番目の西洋式灯台になります。
その時の灯台はフランス人技師たちにより設計、建設された高さ80mの白色八角形の煉瓦造りでしたが、関東大震災で倒壊。現在の灯台は大正14年(1925年)建設のコンクリート製です。

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この灯台は登ることができます。
野島埼です。

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東側の眺めです。
野島埼観光のためのホテルなどが見えます。

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こちらは西側の眺めです。

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フレネルレンズをパチリ。ガラスが汚れていてうまく撮れません。

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野島埼灯台資料展示室にある灯台レンズ。
先ほどのレンズとは少し形が違います。これは、烏帽子島灯台で使用されていたフレネルレンズだそうです。

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房総は南国です。

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今夜はこちらに泊まります。

まだ、時間が早いので周辺をドライブします。

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道の駅とみうらです。
2000年ですが、道の駅グランプリだそうです。

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なかなかおしゃれな建物です。

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前を流れる岡本川の向こう岸から。

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この辺りは枇杷が名産です。一押しの枇杷ソフトを頂きます。


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宿に戻ってきました。
OPA VILLAGEです。
田舎の隠れ家感覚でお楽しみください、です。

この写真は、ホテルの裏庭にある自家菜園「ポタジェ」ですね。ここの野菜やハーブは宿のフレンチに使われています。
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奥に広がるのは、平砂浦地区の手つかずの草原。

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表庭にはプールもあります。まだ少し早いです。

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翌日は、館山城に登ります。

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館山は里見氏。
館山城は、転生念(1580年)里見義頼によって築かれ、天正19年に里見義康が里見氏の本拠としました。それまでは、冨浦駅近くの岡本城が本拠地でした。後北条氏の水軍に対抗するためですね。
館山藩は慶長19年(1614年)に改易になり、館山城も破却されています。以後はふもとに陣屋が設けられ、そこで政務をとっていました。
この館山城は、昭和57年(1982年)再建の模擬天守です。当時の城の情報が乏しいので、福井県の丸岡城を模して造られています。

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里見といえばこれです。「仁義礼智忠信孝悌、いざとなったら玉を出せ!
南総里見八犬伝、子供のころよく見てました。やっぱり犬塚信乃かな。

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城からの眺め。
崖観音は、正面左から二つ目の茂みの右端くらい?

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お城に別れを告げて帰宅します。