2024年5月、この日の散歩はスカイツリー下から大横川親水公園を南下し、両国・蔵前まで。
スカイツリーまでは、日暮里駅から都バスで一本、始発なので座って出発。


スカイツリー駅入り口でバスを降ります。
北十間川は本当にスカイツリーのすぐ下を流れています。

ここで北十間川から分かれて、南にまっすぐ伸びる運河が大横川です。
現在は堅川までの部分は大横川親水公園として整備されています。

まず、バスで通った浅草通りにかかる業平橋をくぐります。

業平橋の南側。近くの幼稚園から遊びに来ていました。

平川橋です。関東大震災の復興事業として昭和4年にかけられましたが、平成23年に老朽化で撤去されています。大横川の流れはすでになかったので、公園をまたぐ道路として整備されてます。
元の橋は、鋼単純ワーレントラス橋で、その一部がモニュメントとして残されてます。

平川橋の先は水の流れが作られています。親水公園らしくなってきました。

横川橋です。上を走るのは、春日通りですね。こちらも震災復興事業でかけられています。まだ現役ですね。

紅葉橋です。昭和5年架橋。近くに紅葉川があったとか。

法恩寺橋です。蔵前橋通りが大横川を渡る橋ですね。
近くにある法恩寺からとられた名ですね。江戸時代からある名前のようです。
大正14年に震災復興事業として架けられていますが、昭和57年にその橋台を使って現在の橋が架け替えられています。確かに桁の形状が紅葉橋などと異なってます。

ちょうど花が咲いていました。

清平橋です。
清平などというと、昔の人の名前かと思いましたが、清水町と大平町を結ぶ橋なので清平橋となったそうです。こちらも震災復興事業でできた橋ですが、老朽化のため、平成23年に架け替えられています。親水公園の通路用ですね。

昔の清平橋の一部がモニュメントとして残っています。

清平橋を過ぎたところで、水辺は終了のようです。

長崎橋は、道路をアンダーパスする通路すらなくなっています。

現在の長崎橋

大横川親水公園周辺を示す案内板がありました。
スカイツリー下を東西に横切っているのが、北十間川。
国道14号の南に二之橋、三之橋、四之橋が東西に並んでかかっているのは、堅川です。
そして、この二つの川を南北にまっすぐつないでいるのが、大横川親水公園です。
縦に掘られた川が横川で、横に掘られた川が堅川ですね。
これは、江戸絵図の多くが西を上に描かれていたからだそうです。90度回転させると、堅川が縦に、横川が横になります。
なぜ、西を上に描かれていたかというと、西には京があるから、だそうです。なるほど。

総武線の下をくぐります。

江東橋です。国道14号(京葉道路)です。
顔がついてます。誰?
ここから水が復活。

水路はすぐにテニスコートになってしまいました。

テニスコートは縦に2面並んでいます。横幅がちょうどです。
よく見ると、テニスコートの間は橋ですね。アーチが見えます。名前はわかりませんでした。

撞木橋跡です。昔、時鐘が近くにあったからだそうです。その時代はもう少し南のようですが。
この道は馬車通り。

撞木橋跡から堅川までは、現在整備中ですね。
ここが大横川親水公園の南端になります。

児童公園から、堅川と大横川の合流点が少し見えました。
写真の右からの流れが堅川、奥が大横川、親水公園は左手になります。
ここからは、親水公園の一本西の道を北に戻ります。

鬼平の旧邸だそうです。火付け盗賊改め長谷川平蔵である、です。
後ろのパトランプは偶然か?

長崎橋の通りまで戻ってきました。北斎通りです。
ここから西に進みます。

小さな社がありました。野見宿禰神社です。
野見宿禰は相撲の神様です。
明治18年に初代高砂親方がこちらに勧進した神社だそうです。大日本相撲協會とあります。

こちらには、日本相撲協会と。
この神社には、歴代横綱の石碑があります。

初代は、明石志賀之助だそうです。雷伝為衛門は大関なので、載っていません。
不知火や雲竜はあの土俵入りの方でしょうか。
四十六代朝汐太郎でスペースがなくなっています。

続きはこちら。
柏戸、大鵬から始まっています。
輪島、北の湖、千代の富士に隆の里、ここら辺からテレビで見た記憶があります。
赤文字と黄(金?)文字の違いは何?

すみだ北斎美術館です。
常設展の一部以外は写真はNGです。
常設展では、北斎漫画ほか、多くの作品が展示されていますが、作品保護のため、高精細レプリカが多いですね。
企画展は、歌舞音曲鑑でした。富嶽三十六景の50年前、若いころの北斎は役者絵なんてのも描いていました。そのほか、お披露目会の案内状なんてのもたくさん描いていたようです。これらは全部原本展示です。北斎漫画の原本も展示してました。

北斎通りをさらに西に進みます。江戸東京博物館は現在リニューアル工事中です。
スターウォーズのAT-ATウォーカーみたいな足をしているので、改修も大変そう。ものすごい数の足場が組みあがってます。

江戸東京博物館の脇を抜けると、APAの向こうに国技館が見えてきました。
この日は本場所開催中。若いお相撲さんがあちこち歩いていました。買い出しでしょうか?
国技館はまた今度にします。

国技館のすぐ北は、旧安田庭園です。
今日の目的地は、こちらではなく、

一角にある、刀剣博物館です。すみだ北斎美術館の半券で10%オフです。

展示室はこんな感じです。「五ヶ伝と五ヵ国の日本刀」開催中です。
室町までの日本刀の主な産地として、備前、山城、大和、相州、美濃の5か国があげられます。それぞれの土地毎の地金や刃文などに特徴があるようで、刀剣鑑定の本阿弥家が五ヶ伝と呼んだようです。


これは、備州長船盛光の太刀ですかね。

アップ。地金?刃文?

蜂須賀正宗の短刀かな。

こちらは、伝正宗の脇差ですか。この紋所が目に入らぬか、が入ってます。
水戸黄門じゃないな、誰かが鎺(はばき)の紋所を見せてましたね。長七郎?

これは南紀重国の脇指だったかな。

日本刀は以前に説明を聞いたのですが、すっかり忘れてます。
あわててこの本を買いました。

屋上庭園から見た眺めです。
国技館と旧安田庭園がよく見えます。

刀剣博物館を出て、隅田川沿いを少し上ります。
蔵前橋です。川向うのピンクの建物は、東京都下水道局の施設です。

蔵前橋から下水道施設を見ています。
ここは、蔵前国技館の跡地になります。
自分としては、国技館といえばここ蔵前ですね。

蔵前橋を渡りました。
このあたりは、江戸時代の浅草御蔵のあったあたりです。
蔵の前に札差が店を並べて、蔵前ですね。

先ほどのピンクの建物が右奥に見えます。
この白壁の蔵風の建物は、蔵前水の館だそうです。下水道幹線を流れる下水などの見学施設だそうです。大相撲関連の資料も展示しているみたいです。見学は要予約。

蔵前神社まで来ました。
徳川綱吉公が元禄6年(1693)に石清水八幡宮を勧進したのが始まりです。
蔵前の八幡様ですね。

落語にゆかりの神社です。鬼平犯科帳にも登場するそうです。

こちらには御朱印があるのですが、お忙しそうなのでまた今度。もうすぐ例大祭なので、神輿の手入れ中でした。
あとで調べたところ、御朱印は13:30までとのこと。訪れたのは、14:00でした。

稲荷町駅の上、寿四丁目交差点まで来ました。
銀座線でよく見る、三善堂。この交差点の角にあるんですね。

この交差点からは、ここ浅草寿町始発のバスで町屋まで。
時間ギリギリまで乗せてはくれないようです。

この日の散歩はちょうど8km。
スカイツリーまでは、日暮里駅から都バスで一本、始発なので座って出発。


スカイツリー駅入り口でバスを降ります。
北十間川は本当にスカイツリーのすぐ下を流れています。

ここで北十間川から分かれて、南にまっすぐ伸びる運河が大横川です。
現在は堅川までの部分は大横川親水公園として整備されています。

まず、バスで通った浅草通りにかかる業平橋をくぐります。

業平橋の南側。近くの幼稚園から遊びに来ていました。

平川橋です。関東大震災の復興事業として昭和4年にかけられましたが、平成23年に老朽化で撤去されています。大横川の流れはすでになかったので、公園をまたぐ道路として整備されてます。
元の橋は、鋼単純ワーレントラス橋で、その一部がモニュメントとして残されてます。

平川橋の先は水の流れが作られています。親水公園らしくなってきました。

横川橋です。上を走るのは、春日通りですね。こちらも震災復興事業でかけられています。まだ現役ですね。

紅葉橋です。昭和5年架橋。近くに紅葉川があったとか。

法恩寺橋です。蔵前橋通りが大横川を渡る橋ですね。
近くにある法恩寺からとられた名ですね。江戸時代からある名前のようです。
大正14年に震災復興事業として架けられていますが、昭和57年にその橋台を使って現在の橋が架け替えられています。確かに桁の形状が紅葉橋などと異なってます。

ちょうど花が咲いていました。

清平橋です。
清平などというと、昔の人の名前かと思いましたが、清水町と大平町を結ぶ橋なので清平橋となったそうです。こちらも震災復興事業でできた橋ですが、老朽化のため、平成23年に架け替えられています。親水公園の通路用ですね。

昔の清平橋の一部がモニュメントとして残っています。

清平橋を過ぎたところで、水辺は終了のようです。

長崎橋は、道路をアンダーパスする通路すらなくなっています。

現在の長崎橋

大横川親水公園周辺を示す案内板がありました。
スカイツリー下を東西に横切っているのが、北十間川。
国道14号の南に二之橋、三之橋、四之橋が東西に並んでかかっているのは、堅川です。
そして、この二つの川を南北にまっすぐつないでいるのが、大横川親水公園です。
縦に掘られた川が横川で、横に掘られた川が堅川ですね。
これは、江戸絵図の多くが西を上に描かれていたからだそうです。90度回転させると、堅川が縦に、横川が横になります。
なぜ、西を上に描かれていたかというと、西には京があるから、だそうです。なるほど。

総武線の下をくぐります。

江東橋です。国道14号(京葉道路)です。
顔がついてます。誰?
ここから水が復活。

水路はすぐにテニスコートになってしまいました。

テニスコートは縦に2面並んでいます。横幅がちょうどです。
よく見ると、テニスコートの間は橋ですね。アーチが見えます。名前はわかりませんでした。

撞木橋跡です。昔、時鐘が近くにあったからだそうです。その時代はもう少し南のようですが。
この道は馬車通り。

撞木橋跡から堅川までは、現在整備中ですね。
ここが大横川親水公園の南端になります。

児童公園から、堅川と大横川の合流点が少し見えました。
写真の右からの流れが堅川、奥が大横川、親水公園は左手になります。
ここからは、親水公園の一本西の道を北に戻ります。

鬼平の旧邸だそうです。火付け盗賊改め長谷川平蔵である、です。
後ろのパトランプは偶然か?

長崎橋の通りまで戻ってきました。北斎通りです。
ここから西に進みます。

小さな社がありました。野見宿禰神社です。
野見宿禰は相撲の神様です。
明治18年に初代高砂親方がこちらに勧進した神社だそうです。大日本相撲協會とあります。

こちらには、日本相撲協会と。
この神社には、歴代横綱の石碑があります。

初代は、明石志賀之助だそうです。雷伝為衛門は大関なので、載っていません。
不知火や雲竜はあの土俵入りの方でしょうか。
四十六代朝汐太郎でスペースがなくなっています。

続きはこちら。
柏戸、大鵬から始まっています。
輪島、北の湖、千代の富士に隆の里、ここら辺からテレビで見た記憶があります。
赤文字と黄(金?)文字の違いは何?

すみだ北斎美術館です。
常設展の一部以外は写真はNGです。
常設展では、北斎漫画ほか、多くの作品が展示されていますが、作品保護のため、高精細レプリカが多いですね。
企画展は、歌舞音曲鑑でした。富嶽三十六景の50年前、若いころの北斎は役者絵なんてのも描いていました。そのほか、お披露目会の案内状なんてのもたくさん描いていたようです。これらは全部原本展示です。北斎漫画の原本も展示してました。

北斎通りをさらに西に進みます。江戸東京博物館は現在リニューアル工事中です。
スターウォーズのAT-ATウォーカーみたいな足をしているので、改修も大変そう。ものすごい数の足場が組みあがってます。

江戸東京博物館の脇を抜けると、APAの向こうに国技館が見えてきました。
この日は本場所開催中。若いお相撲さんがあちこち歩いていました。買い出しでしょうか?
国技館はまた今度にします。

国技館のすぐ北は、旧安田庭園です。
今日の目的地は、こちらではなく、

一角にある、刀剣博物館です。すみだ北斎美術館の半券で10%オフです。

展示室はこんな感じです。「五ヶ伝と五ヵ国の日本刀」開催中です。
室町までの日本刀の主な産地として、備前、山城、大和、相州、美濃の5か国があげられます。それぞれの土地毎の地金や刃文などに特徴があるようで、刀剣鑑定の本阿弥家が五ヶ伝と呼んだようです。


これは、備州長船盛光の太刀ですかね。

アップ。地金?刃文?

蜂須賀正宗の短刀かな。

こちらは、伝正宗の脇差ですか。この紋所が目に入らぬか、が入ってます。
水戸黄門じゃないな、誰かが鎺(はばき)の紋所を見せてましたね。長七郎?

これは南紀重国の脇指だったかな。

日本刀は以前に説明を聞いたのですが、すっかり忘れてます。
あわててこの本を買いました。

屋上庭園から見た眺めです。
国技館と旧安田庭園がよく見えます。

刀剣博物館を出て、隅田川沿いを少し上ります。
蔵前橋です。川向うのピンクの建物は、東京都下水道局の施設です。

蔵前橋から下水道施設を見ています。
ここは、蔵前国技館の跡地になります。
自分としては、国技館といえばここ蔵前ですね。

蔵前橋を渡りました。
このあたりは、江戸時代の浅草御蔵のあったあたりです。
蔵の前に札差が店を並べて、蔵前ですね。

先ほどのピンクの建物が右奥に見えます。
この白壁の蔵風の建物は、蔵前水の館だそうです。下水道幹線を流れる下水などの見学施設だそうです。大相撲関連の資料も展示しているみたいです。見学は要予約。

蔵前神社まで来ました。
徳川綱吉公が元禄6年(1693)に石清水八幡宮を勧進したのが始まりです。
蔵前の八幡様ですね。

落語にゆかりの神社です。鬼平犯科帳にも登場するそうです。

こちらには御朱印があるのですが、お忙しそうなのでまた今度。もうすぐ例大祭なので、神輿の手入れ中でした。
あとで調べたところ、御朱印は13:30までとのこと。訪れたのは、14:00でした。

稲荷町駅の上、寿四丁目交差点まで来ました。
銀座線でよく見る、三善堂。この交差点の角にあるんですね。

この交差点からは、ここ浅草寿町始発のバスで町屋まで。
時間ギリギリまで乗せてはくれないようです。

この日の散歩はちょうど8km。
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